黒い雨が降り続き、大勢の人が死んだ。

血を吐いたり、痙攣を起こして。

楽な死に方を為た者は、ここでは一人も居ない。

生きている者も皆、黒く汚れている。

水は腐臭をまき散らし、瓦礫は大地を汚染する。




明らかに大地は病んでいた。

自ら癒す事が出来なくなった土は、膿を吐きだし

腐れた肉を醜く晒す。





その日、白く大きな翼が空を覆い尽くした。

鼓膜を破るような羽音を響かせ、世界を震撼させる。

始まりなのか、それとも終焉に向かうものなのか。

それを知るものは唯一人として無く、

やがて鳴り響くだろう鐘の音を予感する事もなかった。












少女は腐った道を歩いていた。

どうしてこんなことになったのか分からない。

気が付けばここに辿り着いていた。

少女は強い不安に襲われる。

”いやだ・・・・どうしてここはこんなに汚れているの?

それに、どうしてこんなに暗いの?”

何度も蹌踉けながら、瓦礫の中を歩く。

けれど行く当てもないまま、ただただ彷徨うしかなかった。

”こわい・・・・”

”どうしよう・・・・こわい・・・・”

その言葉は口に出してしまえば、今の自分を保っていられなくなりそうで、

もっと恐ろしかった。






先刻まで、血のように赤い夕陽が辺りを照らしていたが、

今はすっかり闇の勢力が強くなっている。

闇も怖いが、夕陽も恐ろしかった。

不気味なほどに鮮やかに燃え上がり、大勢の人間の血を吸い上げ

狂気に輝いているようだった。

少女は足を速める。

とにかく、ここではない何処かに行きたかった。




「きゃ・・・・・っ!」





ついに少女は足を滑らせ、汚水の中に転がった。

酷い匂いが鼻をつく。

「・・・・や・・・だ・・・・、汚い・・・・」

情けなさと、恐ろしさで思わず泣きだしてしまいそうになった時

不意に声を掛けられた。





「大丈夫・・・・?」





驚いて振り向くと、スクラップの山の中から一人の少年が現れた。

僅かな明かりの中、心配そうに少年は少女を伺っている。

少女はそこに立つ者が穏やかそうな少年であることに安堵したが、

自分が泣きだしそうであることを悟られないように強く言い放った。

「な、何よ!急に話しかけないでよ!私は別に何でもないんだから!」

「・・・・ご、ごめん・・・でもそのままじゃ・・・・」

少年は汚水に座ったままの少女をじっと見る。

少女は少年の視線に気が付き、慌てて立ち上がった。

汚れた水が服から滴り、嫌な泥がこびりついている。

少女は顔を顰めた。

「あの・・・・さ、もし、君さえよかったら、

僕のところにおいでよ・・・・」

少年はそう言うと、微笑む。

少女は不審げに少年を見た。

上から下まで。

小柄な少年だ。自分と年齢はそう変わらないだろう。

危険な感じはしなかった。

このままこうしていても行く当てもなく、汚れた水を吸った服は不快だった。

悪意の無い瞳とその笑顔に、少女は少年に付いて行くことを決める。

「・・・・あんた、名前なんていうの?」

「僕は、シンジ。君は?」

「私?私はアスカよ。

いいわ、あんたのところに行ってあげる。」

アスカは尊大に答える。

「そう、よかった。」

シンジはそう言い、笑った。






長くしなやかなブロンドと、蒼い瞳。

アスカは美しい少女だった。

シンジは自分の少し後ろを歩くアスカを時々振り返って見る。

アスカの服装や様子は明らかに、ここの辺りの人間のものではない。

「ねえ、アスカは何処から来たの?」

シンジは尋ねる。

アスカはシンジを一瞥すると、ふぃと顔を背けた。

「何であんたにそんなこと話さなきゃならないの?」

アスカのその応えに、シンジはいささかがっかりする。

愛らしい容姿とは正反対の性格。

「そ、そうだよね・・・ごめん・・・・」

シンジは取り付く島の無いアスカの態度に、諦めて黙って歩いた。

アスカはまだ警戒しているのかもしれない。




”そう言えば、どうして私ここにいるのかしら。

一体、何時から・・・・?それになんで、一人なの?”

シンジの問いに、アスカはふと考える。

”どうして、覚えていないの?

私、・・・・何処からきたんだろう?”

その疑問を繰り返している内に、アスカはどうしようもない不安に

取り憑かれ、慌てて考えることをやめた。

数度頭(かぶり)を振って、つまらない考えを追い払い

改めて、辺りを見回す。

眼に飛び込んでくる通りの様子。

路上に死んだように横たわる、老人。

虚ろな顔で宙を見詰めている、女。

飢えた瞳の、子供。

何時まで歩いても着く気配が無いので、シンジに騙されているのでは

ないかとアスカは不安になり始めた。

この街では子供でも平気で人を殺せるし、ドラッグもやる。

生き延びるためなら、他の誰かを躊躇い無く犠牲に出来る。

だから本当は、誰も信用してはいけないのだ。

少しでも自分が、正常な人間だと思うのならば。

「・・・・ちょっと、まだなの?あんたのうち・・・・」

「もう、すぐだよ」

シンジはアスカを振り返った。

相変わらず悪意の無い笑顔。

ここまで来てしまったのなら、彼に着いて行くしかなかった。

こんなところに放り出されてしまったなら、今よりも途方に暮れてしまう。

やがてシンジは細い路地を入り、錆びた鉄の階段を上った。

アスカも後に続く。

崩れかけた壁に、うめこまれた扉。

「ここだよ、」

シンジが鍵を差し込み、力を込めて扉を引くと

軋んだ音を立てて扉は開いた。

シンジが暗がりの中、壁のスウィッチを探し当て

明かりを付ける。

弱い電力が部屋の中を照らし出した。

「・・・・・ここ?」

アスカは入り口で立ち尽くす。

小さな部屋が一つきり。

黄ばんだ壁には窓が一つ。

その窓から見えるものは、手を伸ばせば触れてしまうほどに

隣接している遺棄されたビルの壁。

「入れば・・・・?」

シンジに促され、呆然としていたアスカは漸く部屋の中に足を踏み入れた。

「・・・・随分な住いね・・・・狭いし・・・・」

シンジはその言葉に肩を竦める。

「これでも、ましなほうだよ・・・・この辺じゃ・・・・」

「・・・・・」

アスカは黙って部屋を見回す。

小さなテーブルと、布の擦りきれたイス。

パイプベッドに、隅に積み上げられたスチールケース。

狭いなりに、きちんと整理はされているようだ。

「取りあえず、・・・・シャワーでも浴びたほうがいいよ。

服も洗わないと・・・・・」

シンジはスチールケースを開くと、中から古いタオルと

替えの服を出す。

「これ・・・・僕の服だけど、その服が乾くまで着ていればいいよ。」

「あんたの、服?!」

アスカは怒ったようにシンジを見る。

「この私に、あんたの服を着ろって言うの?」

「・・・・でも、そのままじゃ、困るだろ?」

そう言われ、アスカは自分の身に降り掛かった不幸を思いだした。

こうやって明るい光の中で見ると、確かに酷い姿だ。

服は茶色い染みが広がり、手や足には何か泥のようなものが

こびり付いて半分乾いていた。

とてもこのままでは堪えられない。

「・・・・・いいわ、あんたがそう言うなら着てあげる。」

アスカはシンジから着替えとタオルを受け取る。

「シャワールームはそこだよ、水はあんまり出ないけど・・・・」

アスカはシンジが指し示したドアを開け、またしても立ち尽くした。

狭い浴室、ひび割れた壁と、変色しているバスタブ。

お湯が出るのかどうかも怪しい。

シンジはアスカの様子に、また何か言われる事を覚悟する。

しかしアスカは、今度は何も言わなかった。

諦めたような溜め息を漏らし、黙ってシャワールームに入りドアを閉めた。




シンジはほっと一息吐くと、アルコォル・ランプに火を付け

お湯を沸かし始める。






シンジは、アスカを連れてきたことを少し後悔していた。








The Next・・・・・